教師の紹介

教師の紹介

塾長田中が個別指導、少人数授業ともに、責任をもって授業を行います。

スクラムnext塾長 田中克典

教師の紹介

1978年埼玉県生まれ。
東京理科大学理学部第一部物理学科卒業
日本大学大学院量子理工学専攻修了

塾長 田中について
~大学まで~
 私は小学生・中学生の頃、それほど勉強ができる方ではありませんでした。当時は公立の中学で北辰テストという埼玉県の模擬試験が行われていましたが、中1で受けた北辰テストでは偏差値48でした。(42という記憶もありますが。)

 中2の3月くらいに、何かを思い、勉強を始めます。
 塾には行っていましたが、初めは個別、次は集団の塾で、どちらも授業についていけませんでした。本屋さんに行って、半分以上解ける問題集を探して、中2、中1と学年を下げながら立ち読みをしてみましたら、小学5年生の問題集になってしまったのを覚えています。そのため小学5年の問題集から始めました。中2でも学力レベルは小5のため、基本的に独学になりました。

 少しは勉強もできるようになっていきますが、公立高校では進学校を受けられそうもありません。できるようになったとはいえ、一番得意な数学でも、偏差値62。割合や百分率はできませんでした。例えば150円の1割は求められるけれど、150円の1割引きはできない、という感じです。(高校1年の2学期、化学を勉強しているときに、ようやく分かりました。)
 中3の秋、親から「5科目はムリだから、3科目に絞りなさい。私立でしょうがない。」と私立志望になります。本当は熊谷西高校へ行きたかったのですが、中学の担任の先生もOKと言わなかったので、まあ仕方ないという感じでした。
 3科目に絞ったため、どうにか中3の冬には偏差値62くらいまで上がり、単願で城西川越へ合格しました。(兄が通っていたので、合格にはそのボーナスもあったのかもしれません。)

 けれども、高校受験が本当にしんどくて「これ以上にしんどくなるのはイヤだ」と思った私は、高校合格直後から、少しずつ勉強を始めました。

 高校も基本的に独学になりました。はじめは授業がほぼ分からず、途中からは分かるようになりましたが、どうしてそうするのか理解できず。
 自分の理解できないことはやらない。理解できることだけやる。
これを信念に勉強しました。信念というか、解法とか覚えておけないので、これしかできませんでした。勉強自体を諦めるという選択肢もありましたが、これは選べず。

 大学では文学部哲学科か理学部物理学科のどちらかに行きたいと思っていましたので、文系と理系の両方の勉強をできるということで国立大学を目指して勉強しました。「自分はどうして生きなきゃいけないの?」というちょっと暗い問題に、自分なりの答えを与えたかったのです。「どうして生きるのか」ではなく「生きなきゃいけないのか」ですから、結構暗かったのかもしれません。

 これを信念に勉強し、高3の夏には河合塾の模試で偏差値70ほどになっていました。勉強時間は高1、高2の頃は1時間半くらい。高3では3時間くらい。とはいえ、高3では日曜や夏休みは結構やっていました。
 高3の2学期には理学部物理学科を志望先に選び、私立は東京理科大学理学部物理学科だけを受験し、国立ではセンター試験で目標点を達成できなかったため、第一志望の京都大はあきらめ、名古屋大を受験しました。とにかく早く、大学の勉強を始めたかったのです。
 このとき、知り合いの方で、物理の博士号を持ち、分子生物学の研究をしている方がいました。その方に「将来、物理を使って脳の研究をしたい。」と相談したところ、次のような助言をもらいます。
 「そういう研究をしたいなら、できるだけ研究者の多い地域にいた方がいい。だれがそんな研究をしているか分からないから、いろいろな大学へ出かけて行っていろいろな先生に聞いてみるんだ。」
 だから、東京にいた方がいい。これが、その方の助言でした。
そのため、名古屋大学には合格したものの、辞退し、東京理科大学へと進学しました。(この件で、私は高校の先生に呼び出されました。同級生には、やはり名古屋大学を辞退して早稲田大学への進学を選んだ友人もいて、彼は呼び出されていないのに。)


~大学から研究まで~
 その後、大学1年の秋には初心を忘れ物理に興味をなくしますが、大学3年の冬に、自分が物理を勉強したかった理由を思い出し、大学院へ進学します。
 このときは、面識もなかった理化学研究所の松本元先生に、いきなりメールを送って相談しました。先生は丁寧に答えて下さり、非平衡系の物理学ではないかと助言をくださいました。これを指針にして大学院を探しました。当時の東京理科大学にはこのような分野を専門にしている先生がいませんでしたので、他の大学院を探しました。訪ねて行った研究室はおそらく12カ所だったと思います。その中で、日本大学の島田一平先生を師にしたいと思い、日本大学大学院へと進学しました。

 はじめの約1年は島田先生に物理を教わりました。
修士1年の12月ごろ、先生から次のようなことを言われます。
「私は物理は教えられるが、田中さんのやりたいようなことは教えられないから、共同研究できる先生を探してきてください。」
 「ん?どうやって?」これが私が最初に思ったことです。全くあてがないので、大学4年の頃にお世話になった、東京理科大学の生物物理の山田先生に相談しました。すると山田先生は「とりあえず、カエルの心臓の実験なら、過去に行ったことがあるから、それをやってみたらどうか?」と快く応じて下さったのでした。
 山田先生の研究室には3か月ほどお世話になったと思います。修士1年の3月頃に、山田先生から「学会で、物理の手法を使って心臓の研究をしている人がいた。」とお話を頂き、その先生に会いに行くことにしました。
 その会いに行った先生が東京都立大学生物学科の矢澤先生と、物理学科の勝山先生でした。

 そして、この2方の先生と共同研究を本格的に行うことになります。

修士2年の夏、まだ結果が出ていない私は島田先生から次のようなことを言われます。
「田中さん、私は生物での研究では、あなたが修士に値するかを判断することはできません。ですから、あなたに修士号を出すためには、何かきちんとした結果が必要です。結果が出なければ、3年でも4年でも研究をしてください。」
 「きちんとした結果とは何ですか?」と聞くと「査読のある英語雑誌への掲載か、学会賞か、こういう感じのものです。」と島田先生はおっしゃいます。
 「何と。ムリな。」というのが私の最初に思ったことです。修士は通常2年で卒業できますが、これは3年はかかるかなと覚悟しました。大学院を選ぶとき、話を伺った何人かの先生から「島田さんは厳しいよ。」と聞いていましたが、こういうことかを、初めて分かりました。
 とりあえず、論文の方が可能性があると思い、これを目指すことにしました。しかし、運良く修士2年の11月に発表したバイオイメージング学会で、スポンサーだったNikonの名前の付いた「Nikon賞」に選んでいただけたのでした。これにより、どうにか修士をもらって卒業したのでした。

 とはいえ、博士課程で指導してくれそうな先生を探せず、卒業してしばらくは塾で働きながら、東京都立大学で共同研究を行うことにしました。

研究での業績は、以下のようなものでした。
2002年より東京都立大および日本大学、法政大学で物理学者として共同研究。
心臓の拍動リズムの解析に物理学の手法を用い、生理学・情報科学の国際会議、国内学会にて最優秀論文賞(best papar award)を8度受賞。
 ・第10回バイオイメージング学会 Nikon賞
 ・イラン国際生理学会議 2003 最優秀論文賞
 ・CCCT2004 (InternationalConference on Computing, Communications and Control Technologies) Session Best Paper Award
 ・WMSCI2006( World Multi-Conference on Systemics, Cybernetics and Informatics) Best Paper Award
 ・WMSCI2007 Best Paper Award
 ・CCCT2007 Best Paper Award
 ・WCECS 2007 Best Paper Award
 ・CCCT2008 Best Paper Award

研究内容は以下の書籍参照
1.SCALING EXPONENT FOR THE HEALTHY AND DISEASED HEARTBEAT. Quantification of the heartbeat interval fluctuations.
Toru Yazawa and Katsunori Tanaka
2008年 (ISBN: 9781402089183)

2.mDFA detects abnormality: From heartbeat to material vibration.
Toru Yazawa
In: InTech Book Chapter. オープンアクセス 2019年

3.Quantifying the Mind: Worry, Tension, and Anxiety.
Toru Yazawa
Springer Nature Singapore Pte Ltd. オープンアクセス

4.The Scaling Exponent Distinguishes the Injured Sick Hearts against Normal Healthy Hearts.
Toru Yazawa and Katsunori Tanaka
2009年 (ISBN: 9780735406636)

特許
「 Modified Detrended Fluctu-ation Analysis (mDFA) (Biomedical & Nanomedical Technologies - Concise Monographs) 」


塾の講師として
研究と並行して複数の進学塾にて専任講師、カリキュラム編成を行っていました。そん中で次のようなことを思うようになります。

「どうして、世の中の中学生や高校生は結構勉強しているのに、成績があがらないんだ?」

「どうして、勉強できた多くの人たちは、大学入学後に研究結果が出ていないんだ?」と思うようになります。

 中1で偏差値48、中3で割合も理解できないような私が、国際会議の論文賞に選ばれるようになったのだから、みんなもっとできるようになっていいんじゃないのか?国際会議には、審査を通った人しか発表できません。企業や国立の研究所の研究者、ハーバード大学やカリフォルニア大学などの名だたる大学の研究者が発表しています。その中でトップ10%と評価を受けた発表に与えられるのがBest Paper Award(最優秀論文)です。中3で割合の問題ができなかった私が、アメリカの国際会議だけで6度も、そのBest Paper Awardに選ばれたのです。

 研究をしていたときの頭の使い方は大学受験のときをベースにしています。
ということは、高校受験や大学受験へ向けた勉強で、国際的な最先端の場で通じる力は身に着けられるはずです。しかも、塾で教えていると小6で割合が扱える子はそれなりにいます。中3では半数は割合が扱えます。多くの子は私より賢いのです。

それなら、この勉強を広めたら、もしかしたら世界が変わるかも。
私より、元から勉強のできる子たちなら、もっと多くのことができるかも。
そう思い研究をやめ、塾を選びました。

2008年よりスクラムnextの前身である個別学習指導スクラム専任講師。
2012年より同土呂教室長。
2014年より塾長。塾名をスクラムnext(さいたま市北区盆栽町)に改め、より使える学力、より本質的な学力を養える新たな学習を目指す。
2024年より、さいたま市北区の教室を後任に任せ、熊谷市代に教室を移転。
 自分育った地域に、さいたま市等の都市部と格差のない学習環境、高度な内容まで学べる学習環境を提供できることを目指しています。

プロ心理カウンセラー養成コース修了。


田中の思うこと。
 勉強は本来、「私たちの世界をどうしたらい理解できるのか?」という”理解のしかた”のことです。

 この世界には、私たちの目に見えないもの、耳に聞こえないものなど五感で感じずらいもの、日常生活をしていても触れられないものが多くあります。文化、現代の科学や技術、社会システム、これらは確実に存在しているようですが、見えないし、触れることもできません。他人の心、社会の習慣や常識というのも、同じかもしれません。私たちは、このような”確実にそこに在り、それを使っているけれど、実態の分からない、得体のしれないもの”に囲まれて生きています。

 科学は、私たちの周りにある、得体の知れないものを、どうしたら人間が感じられるのか、どうしたら人間が理解できるのかを求めて、作られてきました。これを使って作られる科学技術によりスマホや人工知能(AI)、様々なロボットや機械など”現代のもの”が作られています。
 文化や社会、慣習なども、やはり得体の知れないものでしょう。よく聞く言葉ですが、いったい何のことやら実態はよく分かりません。これらを、どうしたら理解できるのかを求めて作られた、哲学や社会学や経済学などでしょう。これらの学問から、制度や法律、貨幣など、現代の社会システムは作られています。昔の勉強した人た学者たちが、彼らの考えに従って作ったのです。  
他人の心も、やはり見えません。分かったようで、何のことやらよく分かりません。映画を見た後の何気ない会話:Aさん「あの場面、すごかったね!」Bさん「うんすごかった!!」 果たして、Aさんの感じたすごさと、Bさんの感じたすごさは同じだったのでしょうか。知る由はありません。けれども、会話は問題なく進んでいきます。感情は共有されているのか、されていないのか、会話は理解されているのか理解されていないのか?
 歴史や地理もやはり、色々な出来事や名前を覚えますが、いったい何なのでしょう?歴史をどう解釈したら、何が理解できるのでしょうか?これらは、今ここにいる私たちが、世界の国々や人々の中でどのような者なのかを理解することができるでしょう。

 子供たちは将来、このような世界で生きていきます。大人として社会に出る前の子供たちが、身の回りの自然や世界・社会が「どうなっているのか?」を理解できるようする準備が、小学生から学ぶ勉強です。得体の知れない、自分たちの生きる世界を、理解するための手段が勉強です。だから、私たちは勉強をする必要があると、私は考えています。もしかしたら、現代のように巨大化し複雑化してしまったこの世界は、勉強によってしか理解できないのかもしれません。

 「どうなっているか?」が分からなければ、「どうしたらいいか」を考えることは難しいでしょう。勉強は、将来、自分に起きる様々なことに対して、「どうなっているか」「どうしたらいいか」の理解のしかた、考え方の練習です。

 このように学習が進んだときには、社会に出る一歩手前の段階として高校を卒業すること、人によっては大学を選ぶころには、この自然や社会について様々なことの理解のしかたを知っていることでしょう。大学はこの理解をより深めたり、実際にどう使うかを学ぶ場所ですから、子供たちは適切に大学で何を学びたいかを選べるでしょう。同時に、将来、この複雑怪奇な社会で、どのように働いていくかをしっかりと選ぶこともできるようになっていると思います。

 だからこそ勉強は、小学生から長い時間を割いて行うことに、必ず、だれにっとっても価値のあるもの、使えるモノになると信じています。

 けれども現在、多くの学校や、受験勉強では、勉強が「目に見えない世界の理解のしかた」ではなく、「知識」や「問題の解き方」として学ばれています。私は、このような勉強では、意義を感じられず、つまらないもので、やる気が沸かないのも当然のように思います。現在の勉強が多く場所で、このようになっているのを、本当に悲しいことと感じます。

 私は、できるだけ「世界の理解のしかた」として学びを進めたいと思います。そうすると、子供たちは、理解できることが広がります。できることが広がります。これは多くの子供にとって喜ばしいこととして感じられるでしょう。そして、これが勉強の本来の形ですから、勉強も楽になります。思ったより、楽に得点できるようになります。多くの応用問題も、自然のこととして解けるようになるでしょう。人間が作った応用問題など、この世界の理解に比べたら非常に単純です。世界を理解するための勉強を使えば、そんな単純なものは簡単に扱えて当然なのです。学び方の、そもそもの考え方が違うから、理解できず、理解するためのトレーニングも進まず、どうしたらいいかが、分からないのです。

 こうして、これらから未来のこと、今の最先端分野のことを知り、将来にワクワクしながら勉強をしてほしいと思っています。

このページのトップヘ